ブルートレイン・・・懐かしい響きです。
2009年3月に全てのブルートレインが廃止され、最終日に南荒尾駅までお別れに行ってきました。
その時の写真ね。
そして後ろ姿。
もうこれで、見ることはないと思ってた・・。
ところがですよ、
いや~、久々の再会。
JR多良木駅に、宿泊所として第二の人生歩んでました。
おおお
はやぶさ~!
マジで懐かしい!
ちょっと傷んでるけど間違いなく、はやぶさだ。
およそ10年振りの再会。
当時乗ってたのは、この2等のB寝台。
4人コンパートメントのタイプね。
2階に上るときは、はしごを左右に引き出してた。
落ちないようにベルトが固定してあるんだけど、一度だけ夜中に落ちた人を見た。
昔は、3段の寝台もあって、あれは狭くて最悪やったけど、それでも楽しんでた。
全然知らない人と1泊するし、色んな人と話ししながら駅弁食べたり、一緒に飲んだりしました。
食事を分けてもらったり、酒も足りなくなったらもらったり。
夜中は、ベッド仕様になってるから、廊下に出てイスを倒して、移りゆく車窓を楽しんだものです。
ゆかたもあったから、ゆかたに着替えて、飲んで眠くなったらそのまま寝れた。
九州を走る時は、先頭車両は赤、
門司から関門トンネルを渡る時だけ、先頭車両がジュラルミンのピカピカ銀色の車両に換わってました。
そして下関で、先頭車両が青に換わって、全身ブルートレインになってた。
たしか、本州は直流で、九州は交流なので先頭車両が入れ換わってたと思う。
関門トンネルは海水による塩害対策の為にピカピカ銀色だったと思う。
入れ替えは興味深くて、真剣に見てました。
今でも覚えてるんだけど、
3歳の時に、祖母が大阪の万博博覧会に行くのに、寝台のブルートレインで行ったのよ。
自分も大牟田駅まで行ってて、列車の中にも乗りこんで、てっきり自分も行くもんだと思ってて喜んでたら、
まさかの、祖母だけ乗っていくことに。
泣きながら、
「おばあちゃ~ん・・、おばあちゃ~ん・・」
おばあちゃん子だったし、別れるのも悲しいし、
そのおばあちゃんが俺を置いて乗って行ってしまうし、ずっと泣いてました。
思い出すと、今でも泣けてくる・・。
寝台列車は、現実から乖離して、夢や期待に向けた乗り物だった。
夜遅くまで、いつまでも車窓を見てても飽きないし、
目が覚めると、夢の世界へと導いてくれた。
甲子園に野球を見に行った時も、
修学旅行でバカやってた時も、
姉の結婚式で、祖母を連れて行った時も、
大学入試で勉強しながら乗ってた時も、
翌年、また大学入試で乗った時も(笑)、
大学生の時に、日本一周の旅をした時も、
社会人になって帰省や上京する時も、
何度も何度も、ブルートレインは夢と期待と出会いを乗せていってくれた。
そしてまた、夢の国に連れてってくれた。
3080円で、多良木駅前の温泉付き。
4人の開放と個室を選べたから、今回は個室で。
暖房が効きすぎて喉が渇いたけど、当時の封筒みたいな紙コップの水はなかったからビール飲んだ。
久々の寝台車は、興奮してたのもあるけど、列車の音と揺れがないからか、いつまでも発車しないようで寝苦しかった。