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スクール809 熊本県荒尾市の小・中・高生の学習塾です

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25年かけて、サマルカンドに辿りつきました。

大学1年生だった私は、夏休み、冬休みを利用して、

北海道から沖縄まで日本1周しました。


ほとんどは青春18きっぷを使って、鈍行列車の旅でした。

寝るのは、駅の待合室でしたね。



青春18きっぷといえば、いくつか思い出が・・。


当時、6日間普通列車乗り放題で10,000円でした。

(今は、5日間普通列車乗り放題で、11,500円です)

福岡から出発して、初日に広島の宮島に行ったんですね。


安芸の宮島、世界遺産ですね。


ポケットから財布を取り出そうとした時に、青春18きっぷが、ぽろっと下に落ちたんですね。

するとそこには、鹿がいて・・。


その鹿が食べたんですよ、青春18きっぷを。

「えっ?」


ムシャムシャしてるし・・。


「ちょっと待て、こらー!」

と首を絞めて取り返そうとしたんですけど、

「ムシャムシャムシャ・・」


さらに強く首を絞めて、

「こら、出せー!」


でも、

「ムシャムシャムシャ・・」


結局、買ったばかりの青春18きっぷを、鹿に食べられてしましました。


北海道まで行くつもりで買った青春18きっぷですけど、初日ですよ。



駅員に食べられたことを説明したんですけど、

ダメでした・・・。

買い直しましたよ・・。




たまたまだけど、青函トンネルを最初に渡ることもできました。

旅の途中で知り合った大学教授が、今から青函トンネルに乗るから一緒に来るかと。


トンネル工事で亡くなった犠牲者や国鉄関係者、国会議員などを乗せて、

一般開業する2年ほど前に、トンネルを通る一番列車に乗り込みました。


海底トンネル駅で犠牲者の方々に遺族が花を供えるんです。

そこではトンネルの設計や機能について説明を受けました。


いろんな事があったな~と思いだします。

色んな方々に泊めてもらったり、おごってもらったり、車や船に乗せてもらったり、

今なお、すごく感謝しています。



そんなこともありながら、日本を1周しました。



海外に出るのは、日本をひととおり周ってからにしようと思ってました。

そして、行き先はシルクロード、サマルカンドかなと思っていました。


高校生の時に、福岡にサマルカンドという隠れ家みたいな喫茶店がありました。

店の名前に惹かれて、何気なしに入った店なんだけど。


そこに、シルクロードの写真が何枚も飾られていたんですね。

強く惹きつけられました。


「サマルカンド」

この響きも良かった。

いつか行くことになるだろうと、何となく感じました。


そして初めての海外旅行で、シルクロードを目指すわけです。



25年かけて、サマルカンドに辿りつきました。_b0183583_23441159.jpg


当時のシルクロードは、中国・ソ連、社会主義の国々です。


留学生でない学生に簡単にビザなど発給しません。


当時、安いゲートウェイは大阪から鑑真号という船に乗って上海に入るルートでした。

しかし、普通の旅行者はビザが取れない。


じゃどうするかというと、香港で香港人用のビザを発給してたんですね。

それに便乗するわけです。


3~4日かかってたと思うけど、なんとか香港で中国1ヵ月ビザは取れました。

香港発広州行きの船に乗りこみました。

一番安い、地下3Fのフロアで、3段ベッドでした。

窓なんかありません。

けっこうひどかった・・。


中国の広州の港に着いたら、爆竹、太鼓、大音量、すごいお祭り騒ぎでした。


知らなかったけど、丁度中国の正月だったんですね。

中国の正月は旧正月で2月初旬になります。


外国人の泊るホテルも指定されていて、どこに行っても、

「没有!(メイヨウ)」(無いよ!)と断られます。


結局、初日は港のベンチで寝ました(2月ですよ)。



翌日にホテルを回ったけど、やっぱり

「没有」と断られます。


すごい自転車の量で、その日に2回自転車に轢かれました。


頭から血を流しながら、


何軒か回ってもう最後というときに、けっこう粘って頼み込んだんですね。

そしたら

「有(ヨウ)」(有るよ)

という返事が返ってきました。

むちゃくちゃ嬉しかったですよ。



すでに暗くなっていたし、一日中ホテル探しで追われて、ようやくチェックインしたら、

何かがおかしい・・・。


旅行者がほとんどいない・・。


部屋は無いって言ってたのに、旅行者がほとんどいない。

これって、おかしいよね。


彼らは、部屋が有っても、

「没有(メイヨウ)」(無いよ)といいます。


ようするに仕事するのが面倒くさいわけです。


中国を旅する中で気づいていくんですが、彼らは仕事をやってもやらんでも一緒なわけです。

ホテルも部屋はあるけど、無いと言う。


買い物に行っても、仕事はしない、目の前にあるのに無いと言っておく。


どこに行っても無いという。


社会主義が進むとこうなるんだと、すごいカルチャーショックを受けました。



シルクロード行きの切符を駅に買いに行っても、

「没有(メイヨウ)」とつき返される。


何時間も並んで、割り込まれて、ようやく自分の番になっても、

「没有」と言われるだけ。


遠くまでの切符は面倒なのか、なかなか売ってくれないから、

中距離くらいの切符を何度も買う必要があるわけです。


ソ連ビザも広州で取れないし、なかなか前に進めないし、

時間ばかりが体力とともに失われていくわけです。



そうこうしているうちに、シルクロードへの夢は断たれたわけです。



予定を変更して、行きやすかった南岳や桂林、海南島に変更しました。

それはそれで楽しかったですけどね。



翌年ですけど、同様に、ネパールからチベット越えもできなかったですね。

国境が封鎖されてて、チベットのパーミットも取れませんでした。



この時以来、シルクロードやチベットに行けなかった思いはずっと持っていました。





今回は、一気にウズベキスタンのタシケントまで飛行機で飛びました。


アシアナ航空で、往復89,000円です。

ソウルでの待ち時間を入れて、福岡からタシケントまで16時間かかりました。


今回の予定は、サマルカンドを訪問して、世界遺産の街ブハラ、

タシケントから列車で20時間かけて、城塞イチャンカラの街ヒヴァまで行くつもりで旅に出ました。


タシケントからサマルカンドの駅に着いて、バスに乗り込んで、

目的地のレギスタン広場に近づいていくんですね。


わくわくしました。




バスの中の人達にも、たくさん話しかけられて、楽しかったですよ。


バスの車窓でも、サマルカンドの街の説明を一生懸命にやってくれるんですよ。


レギスタン広場で降りることを知っているから、そこまでの道中一緒に写真を撮ったりしてね、


25年かけて、サマルカンドに辿りつきました。_b0183583_112734.jpg


隣に座ってるガキンチョも、ワーワー話しかけてきます。



25年かけて、サマルカンドに辿りつきました。_b0183583_163132.jpg


バスの乗客に見守られて、レギスタン広場に着きました。

手をふって見送ってもらいました。




25年かけて、サマルカンドに辿りつきました。_b0183583_1122988.jpg



25年かけて辿りついて、やり残していた宿題を完成させた気分になりました。



目に見えているものは人それぞれに違います。


日常の目は、主観と経験によって心で見ていると思います。

目で見ているようで、実は心で見ています。


脳は人それぞれに違っているから、違って見えるのが普通です。

経験や価値観で見える景色も大きく変わるから、

今この目で見えた景色は、25年前とどう変わっていたか。


25年前の自分に問いかけてみました。

気持ちは変わらない、わくわくした好奇心を持った自分がいるようで、

おそらく25年前よりも都市化した街の様子は変わっていて、

25年前に出会っていたかもしれない人はこの街にいるかもしれないし、

今だから会えた人もいるわけで、

それは、今後の生き方にも影響しそうで、


一期一会という言葉が浮かんできて、


やっぱり人の懐の深さが世界を見る目に影響を与えると思いました。
by school-809 | 2013-11-02 01:44 | ウズベキスタン | Comments(0)
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